ベストセラーになったアドラー心理学の入門書『嫌われる勇気』によると、アドラーは「賞罰教育」を全否定しています

つまり、「ほめてはいけない。叱ってもいけない。」

これがアドラー心理学の基本スタンスになります。

 

ぼくはインターナショナルスクールで教えていた時にこの本を読み、大きな衝撃を受けました。

わりと多くの教育書が、「子どもを思いっきりほめてあげてください」と全く逆のことを教えていたからです。

果たして「ほめてはいけない」は本当か・・・。

 

でも、『嫌われる勇気』を読み進めるうち、ほめることの弊害が理解できるようになりました。

ーー人はほめても育たない

「ほめられて伸びる」は短期的な成果であって、子どもの20年後、30年後を考えると弊害の方が大きくなる。

これが真実でした。

20年前を振り返れば

「ほめてはいけない」が真実であるという確信を得たのは、自分自身の20年前を振り返った時でした

ぼく自身ほめられて育ったので、「ほめられることの弊害」に大いに思い当たることがあったのです。

 

「ほめられて育つことの弊害」とは何か。

例えば次のようなことです。

  • 行動の目的が「ほめられること」になる。
  • ほめてくれる人に精神的に依存するようになる。
  • がんばったのにほめてもらえないと不満が残る。
  • 目上の人を必要以上に気にするようになる。
  • 行動の基準が「誰々が言ったから」になりやすい。
  • 自分がやりたいことよりも、ほめてくれる人が喜ぶことを選ぶようになる。
  • 自分の人生ではなく、ほめてくれる人の人生を歩むようになる。
  • 選択の自由を与えられた時、何も自分からはできない。
  • ほめてくれる人がいなくなった時、何をやっていいかわからない。

 

これらは皆、ほめられて育つことによる弊害です。

『嫌われる勇気』にも似たようなことが挙げられていました。

 

さて、ぼく自身のことを少し振り返ってみたいと思います。

今は幸いにして、上記のような「弊害」に悩まされることは少なくなりました。

でも、前はあったんです。

 

例えば、ぼくは目上の男性がちょっと苦手でした

自分を裁ける存在。例えば上司、教授。

大学時代や研究員時代を振り返ってみると、緊張してうまく議論ができないことが多々ありました。(苦い思い出です。)

そして、目上の人が言うことに従っていれば間違いないだろう(=ほめられるだろう)と言う意識で、とりあえず言い返すよりは言われた通りにやりました。

 

ところがです。

言われた通りにやっても、うまくいかなければぼくの責任なんですね。

当たり前です。仕事だもの。

でも、ぼくにはそれが不満でした。「言われた通りにやったのになんで?

最初から言ってよ。」「ぼくだけの責任じゃないでしょ?

こんな風に、次から次へと不満が出てきます。

精神的に依存、そして思考停止

これ、どういう状態かと言うと、全くの精神的依存状態なんですね。

上司(教授)に言われたからやる。つまり、上司(教授)のためにやっている。

→ 自分がやりたくてやってるわけじゃない。

→ あなたのためにやってるんだから、やった分ほめてよ。

 

こう言う思考です。

言い換えれば、思考停止状態

自分で考えないのです。

行動の目的は「ほめられること」なので、言われた通りにやるのが一番なのです

自分で考えて、勝手にやったらほめてもらえない。

 

自分で考えることができない人。

そんな人に、まともな仕事ができるわけがない。

なんだか冗談のようですが、これらは本当にぼくの身に起こったことなのです

幼稚だと言われても仕方がない。事実だから。

 

ぼくはこのことに気づいて、ある時猛烈に反省しました。

自分でもっと考えないといけない。

こんな単純なことに、全然気づけなかったんです。

ぼくは思考停止していた時期を「空白の7年」と呼び(←思考停止状態で仕事をしていた期間がだいたい7年くらいだったんです)、自分自身を戒め、この7年を取り戻すべく、がんばって仕事をしました。

ぼくは父親や先生からほめられて育った

なぜぼくはこんな風な大人になってしまったのか。

思い返してみると、ぼくは父親からも学校の先生からも、ほめられて育ちました

次男だったぼくは、兄に勝って親からほめられたかったんですね。

 

勉強をがんばりました。

成績良かったです。すると先生からもほめられました。

クラス長に選ばれたり、何かと一目置かれるようになりました。

成績が良くて真面目なぼくを(←自分で言うな^^)、なんとなく先生方も好意的な目で見てくれていました。

 

こういう他者からの評価が、ぼくの生きる目的だったんですね

「行動指針」と言ってもいいでしょう。

ほめられるためにがんばりました。

 

でも、大学4年の時、それではうまくいかない状況に直面しました。

卒業論文です。具体的な指針が与えられない課題。

自分で計画を立てて、自分のやりたいことをやる課題。

この時に気づくべきだったんですが、上手くいかないことに不満を言いながらも、とにかく卒業論文を乗り切ってしまったため、働き始めてからも尾を引きました。

 

それで、上記のような精神的依存状態、思考停止状態で仕事をするようになったというわけです。

これが、ぼくのケース。

まとめ:短期的な「伸び」に惑わされないでほしい

ここまで、「ほめられて育つことの弊害」について、自分自身の例を挙げて説明してきました。

あなたにも、思い当たることがあったかもしれません。

 

ところで、こんなにも弊害があるのに、なぜ多くの教育書が「子どもを思いっきりほめてあげてください」などと教えているのでしょうか

なんか不思議ですよね。

その理由は、短期的な目で見れば、確かにほめると子どもは伸びるからです。

 

ほめられた子どもは、やる気になって、勉強をがんばります。

すると成績が伸びます。いい大学に入ります。

多くの教師や親は、ここまでしか見ないのです

いい大学に入れば、学校教育も子育ても成功だと思っている人がいかに多いことか

 

きつい言い方かもしれませんが、とても重要なことなので書きます。

子どもをいい大学に送って成功したと考えている自称「子育てに成功した親」や「カリスマ教師」が、子どもをダメにしてしまう間違った「教育論」を平気で振り回しているのです

役に立たないならまだしも、多大なマイナスの影響を与えている人たち。

本当にやめてほしい。

 

この記事を読んでくれたあなたは、子どもの「短期的な伸び」という甘い果実に惑わされず、20年先の子どもの将来を見据えた、正しい子育てをしてください。

ほめてはいけない。

叱ってもいけない。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

参考文献

  • 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気――自己啓発の源流「アドラー」の教え』