3歳くらいの女の子
(写真提供:shuri14さんによる写真ACからの写真)

 

我が家には3歳半になる長女がいます。

この子がよく台所に入りたがるのですが、私はお湯のポットや包丁、重い鍋などが心配で気が気ではありません(もともと心配性なのですが^^;)。

それで、お湯が沸いている時や料理中だと、嫌がるその子を無理やりリビングへと連れて行きます。リビングとキッチンの間にはベビーガード(低めの柵)があるので、その外に出してしまうのです。

 

さて。

こんなことがあると、一時的とは言えうちの子はとても機嫌が悪くなり、父親に懐かなくなります。

 

正直、ちょっと悩みました。

私は結構、ダメなことはダメとはっきり言うし、子どもがそれでもやめなければ、実力行使で無理やりやめさせてしまいます。

自分が元来の心配性であることを自覚していることもあり、ちょっと厳しすぎるのではないかと思うこともありました。

 

だけど、ですね。

キッチンはやっぱり危ないと思うのです。

ちょっと想像を豊かにしてリスクヘッジをしてみましょう。

 

包丁が子どもの足にでも落ちれば、簡単に刺さってしまうでしょう。

重い鉄鍋が子どもの小さな足の上に落ちれば、指を骨折するかもしれません。

そして私が一番心配な湯沸かしポット。

ポットは棚の上にあり直接は手が届かないのですが、子どもがコードを引っ張り、ポットが倒れてお湯が子どもに降りかかってきたら・・・。

 

火傷の跡は一生残ります。

女の子ですから、顔にでもかかれば一生悔いることになるでしょう。

 

私は、子どもに一時的に嫌われたとしても、ダメなことはダメと言い、必要な時は無理やりにでもやめさせる厳しさが、親には必要だと思います。

キッチンから連れ出されたことを一生恨む子どもはいませんが、親がキッチンから連れ出さず、その結果顔に火傷を負ってしまったなら、その子は一生親を恨むでしょう。

そして、キッチンから無理やり連れ出されたことを長い間怒る子どもがいたとしても、多くの場合、成長すれば親のしたことを理解してくれるでしょう。

 

結局は、親が正しいことをすることが、子どもにとって一番いいのです。

親子関係にとっても。

親は、何がダメなのか、基準を示さなければなりません。

子どもの「ありのまま」をそのままししておいてはいけないのです。

 

親は、正しい基準を教えるために、相当な努力が必要でしょう。

でも、それが親としての責任だと思うのです。

 

親御さんの考えは様々だと思います。

  • 子どもの好きなようにさせてあげたい。
  • 自分も何が正しいのかわからないのだから、子どもを無理強いできない。
  • 厳しくして子どもに嫌われたくない。
  • 子どもを理解してあげることが親の務めだ。
  • ありのままの子どもを愛することが本当の親の愛だ。
  • 父親が(あるいは母親が)厳しくすべきであって、自分は優しくしてあげたい。

 

私は、これらの考えのどれにも賛同できません。

 

「時には厳しさをもって子どもに正しい基準を示し、物理的にも精神的にも子どもを守ってあげること。」

これが、私の考えです。

 

そして、親はもちろんのこと、教師にも同じことが言えると思うのです。

教師の世界では、子どもへの愛と理解が何よりも尊ばれます。

子どもを愛すること。

子どもを理解しようと最大限の努力をすること。

 

もちろんこれらを否定するつもりはありません。

私も教師でしたし、このことはいつも意識して努力し続けていました。

 

でも、愛と理解だけで終わってはいけないのです。

理解した上で、愛をもって(愛の動機に基いて)、子どもを正しい道に引っ張りあげなくてはいけないのです。

時には無理やりに、です。

 

子どもには嫌われるかもしれません。

愛と理解を示してくれる「だけ」の先生の方が、居心地がいいでしょう。

「それでいいんだよ。」

「そのままでもいいんだよ。」

 

こう言われたら、耳に心地よく、とても慰められます。

 

でも、子どもって、子ども自身が「このままではいけない」と強烈に自覚しているのです。

変わりたいと願っている。

でも一方で、変われない自分に嫌気が差している。

 

「そのままでいいんだよ」と言われれば、慰められるかもしれない。

でも、本心では、成長と変化を求めている。

成長と変化を与えてくれる先生を求めている。

 

自分をここから引っ張りあげてほしい。

何とか成長させてほしい。

 

だから教師の責任は、「愛」と「理解」と「引っ張りあげること」。

もっと高い基準に引っ張りあげてほしい。

それが教師に求められています。

 

そのためには教師自身が高い基準をもっていなければいけないので、教師という人間はとても大変です。

成長し続けなければならない。

「教師だって人間なのだから、ありのままでいい」なんて、開き直っている場合ではないのです。

 

人間として成長しましょう。

専門分野をもっと探求しましょう。

どこまでもどこまでも、成長し続ける。

それが教師ではないかと思います。

 

私自身がそのように生きたいと思っています。