状況・環境に対する受け取り方は人それぞれですね。例えば試合に負けた時に、落胆して諦めるか、自分の足りなさがわかったと前向きに捉えてもっと練習するか。

こういう状況・環境の受け取り方を「反応」と言います。何らかの刺激に対する反応。

人には反応を選択できる能力があります。人は動物の中で唯一「自覚」ができる存在だからです。自分の状況・環境、思考、存在を客観的に認識できるので、本能に従った反応以外の、様々な反応を選択できるのです

イライラと平安の分かれ目

反応を選択できる自由がある、と言われても、なかなかピンと来ないかもしれません。普段は意識的に反応を選択することがないから、当然といえば当然です。

ちょっとした例を考えてみますね。

 

例えば、あなたが歩道を歩いているとき、前からサラリーマン風の男性が早足で歩いてきたとしましょう。道は狭く、どちらかが脇に寄らなければならない。サラリーマン風の男性は、邪魔だと言わんばかりの勢いで歩道の真ん中をのしのし歩いてくる。しょうがなくて、あなたはちょっと道の脇による。すると、大げさな身振りで男性は肩で風を切りながら、あなたにぶつかるかどうかのすれすれのところを過ぎ去っていく。会釈ももちろんない。

・・・さて。読んでいて、ちょっとイライラしませんでしたか?

ぼくは、こういう状況でイライラするのが、普通の反応だと思っています。言わば、本能に従った反応。

上記のストーリーは、何を隠そう、ぼくが今朝体験した状況です。ちょっと初老の男性でした。顔は険しく、プライドが強そうな人。もしかしたら「道を譲るのは若者であるべき」と考えていたかもしれません。

ぼくはこの時、イライラしました。で、その直後に、知識として知っていた「反応が選択できる」という能力を、実践してみたのです。

 

まず、客観的に自分を見ました。幽体離脱みたいに、ちょっと離れたところから観察するんです。

威張ったおじさんに道を譲らされ、イライラしている自分。でも、一方でイライラしない自由も持っている自分

ぼくのイライラは、おじさんの行動によって自動的に引き起こされた当然の結果ではなく、ぼくが選択した反応の結果であることを自覚しました。

言い換えれば、イライラを選択した自分を客観的に認識できたんです

そして、イライラを選択しない自由を行使して、ぼくは朝の清々しい空気を思い出しました。

「うん、気持ちがいい朝だ。これから仕事、頑張ろう。そうそう、この出来事も記事にして書くといいかも。」

こうしてぼくは、今記事を書いているというわけですね。

「自覚」という人間特有のスーパー能力

ぼくたちが反応を選択できるのは、冒頭でお話しした通り、人間に「自覚」という能力が備わっているからです。

自覚とは、客観的に自分を認識することができる能力。

 

今、ちょっと離れたところから、あなた自身を観察してみてください。幽体離脱みたいに。

スマートフォンを使って記事を読んでいるあなた。

「あなた」はどこにいますか? 電車の中? キッチン? 大学のキャンパス?

記事を読みながら、どんなことを考えていますか? 「ふーん、そうなんだー。なんか信じられないなー。」とか?

 

このように、あなたはあなた自身のことを、客観的に捉えることができるんです。あなたが置かれた状況・環境だけでなく、思考さえも。「私今、こんなこと考えてる。」という具合に。

だから、「刺激」に対する「反応」を選択できるんですね。

「刺激」とは状況・環境のこと。「反応」はあなたの思考。どちらも客観的に認識できる。そして、両者は全く別々のものであり、何のつながりもないのです。わざわざつなげない限り。

 

人間以外の動物には、この「自覚」という能力がありません。

何だか不思議ですよね。「考えている自分」さえも自分の頭の中で認識できるなんて。「考えている自分」を認識しているのもまた、「考えている自分」なのですから。

人間は、物理的な体と、思考と、さらにそれら以外の何かからできているのかもしれません。

あなたの許可なしに、誰もあなたを傷つけることはできない

最後に、「あなたの許可なしに、誰もあなたを傷つけることはできない。」という話。この言葉は、スティーブン・R・コヴィー氏の『7つの習慣』で引用されている言葉です。(今回の記事は同書を参考にして書いています。)

1人の女性の看護師さんが、頑固な患者さんの介護で疲れ切っていました。親切にしても怒られ、ののしられ、お礼はもちろん言われない。夜中でもいつでも、雑用のため呼び出される。精神的にも肉体的にも疲れ切り、人間としての尊厳さえも失いかけていました。

そんな彼女が、コヴィー氏に言われたのが上記の言葉です。

「あなたの許可なしに、誰もあなたを傷つけることはできない。」

彼女は頭の中で全力で否定しました。そんなことがあるはずがない。私がみじめなのは、あの患者さんのせい。私にはどうすることもできない。

だけど、ぐるぐると頭の中で葛藤していた時、ハッと気づいたそうです。「私には、みじめな自分を選択しない自由があるんだ!」と。

「あの患者さんは私を傷つけられない。私は自由だ! 誰も私を傷つけることなんてできないんだ!」

本当に自由になったそうです。監獄から解き放たれたようだと、彼女はコヴィー氏に語りました。

 

この記事を読んでくれているあなたは、もしかしたらぼくなんかよりもずっとずっと大変な状況にあるかもしれません。「みじめな自分」に毎日苦しんでいるかもしれません。ぼくにも、誰にも、あなたの苦しみはわからないんですが、「反応は選択できる」という事実が、あなたの助けになることを願っています。

参考文献

スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』