インターナショナルスクールで教鞭をとらせてもらうようになって、もうすぐ3年が経とうとしています。

勤務校はキリスト教系の中高一貫校。聖書の原則を学校の基本理念とする、いわゆる「キリスト教教育」を行う学校です。

 

ぼくはキリスト教教育を行う学校で働けることを、とてもありがたく思っています。

なぜなら、自分にとって最も価値あるものである聖書を、直接的・間接的に多くの人とシェアできる仕事だったからです。

 

なんか、「それなら牧師や伝道師になればいいじゃん」と言われそうですが、実際、聖書をシェアしたいならそっちの方がいいと【以前は】思っていました。

でも、その後いろんな本を読み、勤務校で現場を経験して、今は聖書をシェアする最良の機会は学校教育だと考えています。

アメリカやイギリスでは学校と教会の役割が違う

そもそも教会というのは、欧米のキリスト教国から輸入されたものです。

日本に必然的に生まれた土着の施設ではありません。

 

しばしばキリスト教会は、お寺や神社に比べて「地域に根ざすことが難しい」と言われますが、それは当然です。

日本人にとって、それはとても【異質なもの】だから。

 

19世紀末、明治期の日本のキリスト教信仰を牽引した内村鑑三は、アメリカでの信仰生活を通して日本とアメリカの違いをはっきりと感じました。

どのような違いか。

それは、「アメリカでは学校と教会の役割が違う」ということでした。これはアメリカのルーツであるイギリスにおいても同じです。

 

どういうことかと言うと、アメリカでは「知的成長は学校で、精神的成長は教会で」という認識なのです。

 

言わば分業体制で【教育の2つの側面】を担っているわけです。

  • 知育(知的教育)→学校で行うもの
  • 徳育(精神的教育)→教会で行うもの

日本では学校が「教会」の役割を果たしてきた

一方で、日本人はこのような「分業体制」に全く馴染みがありません。

日本では、知育も徳育もともに学校が担ってきたからです。

 

みなさん自分の子供時代を思い出してみてください。

どこで教育を受けてきたでしょうか。

家庭以外では、学校しかないはずです

(・・・あ、人によっては塾やピアノ教室などもありますね。)

 

そして学校で、礼儀作法、道徳、集団行動、協力、思いやり、ボランティア精神など、精神的あるいは人格的な面の教育まで受けてきたと思います。

これが、日本という国です。

 

でも上述の通り、キリスト教国には「教会」というもう一つの【教育を受ける場所】があるんですね。

家庭と、学校と、教会。

ほとんどの子供が、当たり前のように教会に行き、教会で精神的な教育をたくさん受けてきたんです。

それこそ何百年にも渡って

これがキリスト教国です。

 

日本人と彼らと、違って当然だと思いませんか?

 

日本人には、「教会は学ぶところ」という意識がほぼありません。

そもそも教会に来る人が少ない。

そして、教会で聖書を学ぶ人は、もっともっと少ない。

だって、学校以外に学ぶ場所を持たない民族だから

 

だったらむしろ、学校で教えた方がいいと思うのです。

内村鑑三だって、聖書を学んだのは札幌農学校です。北海道大学の前身の、高等教育機関。

教会ではなく、学校で聖書を学んできたんですね。

 

その内村鑑三が、次のような言葉を遺しています。学校、特にキリスト教学校のあり方を示す、鋭い洞察です。

二十世紀にわたる我が国の人たちの生活において、慣れ親しんできた道徳と宗教との教え方は、聖書にもとづく説教とか高壇から伝えられる方法ではありませんでした。私たちは徳育と知育とを区別しません。学校が私たちの教会であってそこで全人の形成が期待されているのです。(『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』259ページ)

内村の言う通り、日本の学校は「全人の教育が期待される場所」です。

そして、聖書に基づいて全人教育できる場所が、キリスト教学校なのです。

終わりに

というわけで、聖書を多くの日本人にシェアしたいと願うクリスチャン(キリスト信徒)にとって、キリスト教学校ほど大事な場所は他にないと思うのです。

 

私事で恐縮ですが、ぼくの勤務校(キリスト教学校)は、2018年度をもって閉校することになりました

運営母体のキリスト教会の意向で、学校をやらないことに決まったのです。

 

・・・何というか、皮肉なことですよね。

ぼくは最後の年度の教務主任ができて本当に光栄です。

それと同時に、ものすごく心痛く、残念に思っています。

 

この記事を読んでくれる人の多くは、たぶんキリスト教会の関係者ですよね(違うかもしれないけど^^;)。

キリスト教学校の閉校は、聖書をシェアする上で痛恨のミスです。そのことを心に留めていただければ幸いです。

参考文献

内村鑑三『余はいかにしてキリスト信徒となりしか