深海底のイメージ
©︎NOAA Photo Library / flickr

ウイルスが深海底の微生物に栄養分を与えている

海にもウイルスがいると言ったら驚かれるかもしれませんが、海面近くや浅い海の底に多くのウイルス(ほとんどは病原性でない)がいることは、1990年ごろからよく知られていました。

しかも、それらのウイルスには大切な役割があって、海面近くの食物連鎖を強力に支えているというのです。

 

そんなウイルスが、どうやら深海底にもたくさんいる、というのが今回の話。

深海底のウイルスもまた、深海生物の食物連鎖を支える重要な存在である可能性が高い。

 

まずは、ウイルスがいることで深海底で何が起こっているのか、というところから始めたいと思います。

 

深海底に住む生物にとっての重要な栄養分は、海面近くから落ちてくる死んだプランクトン。

深海では雪のように見えるため、「マリンスノー」という名前で呼ばれています。

その死んだプランクトンを小さな深海魚が食べ、小さな深海魚をもっと大きな深海生物が食べ、といった具合に、深海の食物連鎖は成り立っているのです。

 

ただ、一つ問題があって、この死んだプランクトンって、「深海にいるプランクトン」の餌にはならない。

ややこしい話ですが、プランクトンはプランクトンの餌にはなれないのです。

死んだプランクトンを食べるのは、もう少し大きい生物。

それに対し、プランクトンが食べる(吸収する)ことができるのは、もっと細かい、水に溶けた有機物なのです。

 

だから、深海に住むプランクトンにとっては、一見すると餌が乏しいように思える。

でもそんなことはないのです。

 

なぜなら、深海底に溜まっている泥の中にはたくさんのウイルスがいて、そのウイルスが、プランクトンの細胞をガンガン分解してくれるからです。

死んだプランクトン(マリンスノー)か、生きたプランクトンかはちょっとわかりません。

ですが、多分両方でしょう。

 

そのため、ウイルスによって分解されたプランクトンは水に溶けた有機物となって深海に放出され、別のプランクトンの餌になるのです。

つまり、深海底のウイルスは、深海に住む微生物に栄養分を与える存在だということ。

 

これがとても重要で、深海のプランクトンが栄養分を得てよく育つと、それらの数が増えますよね。

すると、プランクトンを食べる深海生物もよく育つようになる。

海面付近からのマリンスノーだけでなく、深海に住むプランクトンもいっぱいいるわけですから、深海生物にとっては意外と食べ物が豊かなわけです。

 

こうして深海底に住むウイルスは、深海生物の食物連鎖の維持にしっかりと貢献していると考えられるのです。

 

ちなみに、もしもマリンスノーを分解するウイルスがいなかったら、食べ残されたマリンスノーは深海底に集積し、やがては何にも利用されずに海底下に埋もれてしまいます。

 

深海底の栄養分は海面近くの植物プランクトンにも届けられる

深海底のウイルスの活躍は、深海生物の食物連鎖だけにとどまりません。

実は、巡り巡って海洋全体の食物連鎖、さらには海洋が持つ二酸化炭素の吸収能力にまで関係しているのです。

 

深海底の話がなぜ海洋全体に関係してくるかというと、地球規模の深層水の循環によって、海底の水と海面の水はつながっているからです。

今度はその辺りのことを、具体的に見ていきましょう。

 

深海底のウイルスによって深海の海水中に放出された栄養分(有機物だけでなく、鉄などのミネラルも含みます)は、深層水の流れに乗って世界中の海に運ばれていきます。

そして、深層水が海面付近に上昇してくる場所で、栄養分も一緒に上がってくる。

 

その結果、深層水が上昇する海域では栄養分が豊富になるので、海面近くのプランクトンがよく育ちます。

海面近くのプランクトンは、浅いところでの海洋生物の食物連鎖を支えるだけでなく、マリンスノーの形で深海の食物連鎖をも支える存在。

 

こうして深海底のウイルスの働きは、巡り巡って海洋全体の食物連鎖を活性化し、豊かな海洋生物の世界を支えているのです。

 

なお、深層水が上がってくる場所はかなり限定的で、インド洋と北東太平洋の2箇所です。

海水が循環する経路については、こちらの図を参考にしてください。

深層大循環(熱塩循環)の模式図
地球規模の深層水の循環(©︎Robert Simmon, NASA / Wikipedia

 

そしてもう一つ、重要なことがあります。

それは、海面近くの光合成プランクトンを繁殖させることで二酸化炭素の吸収能力を高め、大気中の二酸化炭素の濃度を安定させる働きです。

 

先ほどお話しした通り、深海底のウイルスが放出した栄養分は、いずれは深層水と一緒に上昇し、海面近くのプランクトンを繁殖させます。

そこには光合成をする植物プランクトンがたくさんいて、光合成によって海水中の二酸化炭素を消費してくれます。

 

海水中の二酸化炭素というのは、大気中の二酸化炭素が溶け込んだもの。

ですので、植物プランクトンが十分に繁殖すれば、間接的には大気中の二酸化炭素がより多く海水中に取り込まれることになるのです。

 

海洋に含まれる二酸化炭素は大気の50倍

さて、地球温暖化の問題が議論される昨今、大気中の二酸化炭素濃度の変化がよく取り上げられますね。

二酸化炭素が、影響力の大きい温室効果ガスと見なされているからです。

 

先ほども、「大気中の二酸化炭素が海水中に取り込まれる」という話をしましたが、大気中の二酸化炭素濃度を安定させるには、海洋の持つ二酸化炭素の吸収能力がとても重要になってきます。

なぜなら、海洋中の二酸化炭素の量は、大気中に比べて圧倒的に多いから。

 

地球表面における二酸化炭素の存在場所は、大気、海洋、陸生生物、土壌などです。

そしてその割合は、大気中の二酸化炭素を1とすると、海洋が約50、陸生生物が1、土壌が2という内訳なのです。

 

海洋の二酸化炭素には、海水中に溶けているもの、海洋生物に含まれるもの、海底の岩石や泥に含まれるものなどがあり、これらを全て合わせて、大気中の二酸化炭素の50倍近くの量が海洋に存在しています。

このように圧倒的な量を持っていますので、海洋の二酸化炭素の吸収能力に変化があると、大気中の二酸化炭素濃度にも大きな影響を与えます。

 

例えば海洋の環境が変化して、これまで海水中に溶けていた二酸化炭素が大気中に放出されたとしたら、大気中の二酸化炭素の量は急激に増加することになるでしょう。

 

このようなわけで、深海底のウイルスが海面へ栄養分をもたらし、その結果、海洋の植物プランクトンが繁殖して海の二酸化炭素の吸収能力が安定すれば、大気中の二酸化炭素濃度の安定にも貢献できるのです。

つまり、深海底のウイルスの働きは、地球温暖化を抑制する働きをも担っているかもしれない、ということです。

病気を引き起こすウイルスはほんの一部にすぎない

以上、深海底のウイルスが海洋全体の食物連鎖を活性化させ、ひいては大気中の二酸化炭素濃度の安定にまで貢献している可能性がある、という話をしてきました。

知られざる海のウイルスの世界、いかがだったでしょうか。

 

ウイルスと聞くと、多くの人はどうしてもネガティブなイメージを持ってしまいます。

それは、新型コロナウイルス(COVID-19)やインフルエンザウイルス、ノロウイルスなど、私たちがよく知っているウイルスは病原性のウイルスだからです。

実際、世界中のウイルス研究も、病原性のウイルスを研究することで発展してきました。

 

しかし、1989年、ノルウェーのベルゲン大学の研究者により、海洋にも膨大な量のウイルスがいることが報告され、ウイルス研究は「病原性でないウイルス」にまで急激に範囲を広げて行きました。

海洋のウイルス研究者によると、沿岸近くで海の水をすくうと、スプーン1杯ほどの海水の中に1億個にのぼるウイルスが存在しているそうです。

信じられない量ですね。

 

そして、これらのウイルスのほとんどは病原性のないウイルス。

もちろん、病原性のウイルスと同様に、宿主(しゅくしゅ)となる生物の細胞に感染して自らの数を増やし、宿主の細胞を殺してしまうわけですが、宿主の選択は非常に限定的なのです。

つまり、あるプランクトンに感染するウイルスは、他のプランクトンには感染しないし、魚にも、エビにも、人間にも感染しない。

 

私たちにとって「病原性のウイルス」というのは、単に人間に感染するウイルスのことを指しているわけですね。

そして、地球上に存在するウイルス全体から見れば、その数はわずかであり、ほとんどは病原性でないウイルスです。

 

ウイルスもまた、地球の自然環境を守る大切な存在であることを、今回の記事で知っていただけたらと思います。

補足:ウイルスは生物でなない?

ここからは補足。

 

以前、「ウイルスって生物なの?」という質問を受けたことがあります。

そうです。

確かに、ウイルスは生物ではありません。

 

でも、遺伝物質(DNAまたはRNA)を持っているし、ちゃんと数も増える。

進化、というか、少しずつグレードアップして、感染力を高めたりもできる。

こうなると生物と何が違うのか、わからなくなってしまいますね。

 

生物との違いは、数の増やし方にあります。

 

生物は、栄養を得ることで自らの数を増やすことができます。

あるものは細胞分裂によって増え、あるものは生殖によって増える。

いずれも、食べ物は食べますが、他の生物の力を借りることはありません。

 

しかし、ウイルスは、自分の力だけでは数を増やせないのです。

自分とぴったり合う宿主(感染相手の生物)を探し、宿主の細胞に付着することで自分のDNAをその中に送り込み、宿主の細胞の増殖システムを乗っ取って自らの数を増やす。

こうしてその細胞を、「ウイルス生産工場」に変えてしまうわけです。

 

このように、「自分だけでは数を増やせない」という点で、ウイルスは生物でないとされているのです。

ただ、生命科学や医学、ロボット工学(人工知能)の発展に伴い、生物と無生物の境界はますます区別が難しくなっています。

「生命とは何か」という命題は、これからますます問われることになるでしょう。

参考文献