三浦半島荒崎海岸(©︎Katsuaki Watanabe)

 

旧約聖書の詩編95編に次のような言葉があります。

深い地の底も御手(みて)の内にあり

山々の頂(いただき)も主のもの。

海も主のもの、それを造られたのは主。

陸もまた、御手(みて)によって形づくられた。

(旧約聖書 詩編95編4-5節 新共同訳)

 

「主(しゅ)」というのは、聖書では創造主である神、またはイエス・キリストのことを指します。

地形や鉱物など美しい地球の造形を見ていると、「山も海も主が造られた」という詩編の言葉が、自然と頭に浮かびます。

目に映る景色をもって、私たちを感動させてくださる神様。

 

昨日、ふと「私は何のために本を書いているのか」と考え込みました。

本を書いて何をしたいのか。

 

「地球科学をすべての人に。」

これが地球科学コミュニケーター事業のビジョンであり、本を書き始めた理由です。

持続可能な社会の構築、災害への備え、地球資源の枯渇の問題などが注目される昨今、現代社会を生きるすべての人にとって、地球科学は必須の教養となりました。

 

しかし、日頃から科学や自然に興味を持っている人を除けば、多くの人にとって地球科学は身近なものではありません。

本を読んでみようと思って関連書を手に取ってみても、複雑でややこしい図が多かったり、言葉が難しかったりで、なかなか興味が持てません。

 

私には本を制作するとき、いくつかのこだわりがありました。

それは次の4つです。

  • 写真(またはイラスト)で興味を持ってもらう。
  • 図説でも教科書的でもなく、読み物として読める本にする。
  • 専門用語をなるべく使わず、徹底的にわかりやすい文章にする。
  • 引用に耐えられる文献のみを参考資料にして、正しい情報を伝える。

 

そして、ビジネスマン、主婦、中高生(あるいは小学生)など、これまで地球科学にあまり触れてこなかった人に読んでもらえる本にしたいと思いました。

 

ちょっと難しい地球科学の本が多い一方で、美しい風景写真が満載のビジュアル本も、書店には溢れています。

写真が美しいと、多くの人が手に取ります。

そして、「地球ってすごいな」と感動します。

 

でも、そこから地球科学の教養にまで理解を深めていくには、ある程度の量のしっかりとした文章を読まなくてはなりません。

そうでなければ、持続可能な社会の構築や災害対策、資源利用などの社会的な問題に対処できるようにならない。

写真が美しいだけの本では、やっぱり足りないわけです。

 

そんなわけで、「地球科学をすべての人に。」というビジョンのもと、入り口のハードルはとことん下げるけど、内容はしっかりと伝えられる、そんな本作りを目指してきました。

この辺のこだわりが、私が本を書く理由につながってくるのかなと思っています。

 

さて、地球科学と聖書の話でした。

冒頭に聖書の引用が登場したっきり、「何のために本を書いているのか」という話に、見事に脱線してしまいました。

聖書が関係してくるのはこの後になります。

 

私はクリスチャンであり、人生の最も大切な目的は、一人でも多くの人にイエス・キリストを知ってもらうことです。

美しい地形の写真を通して、「山も海も主が造られた」という感動を、多くの人と分かち合いたい。

 

でもこれって、事業のビジョンとしてはとても共感されにくい部分です。

社会貢献的な、大義名分もありません。

個人的な人生の目的と、事業体としての目的とは、一致しないことが多いのだと思います。

 

もう一度、「私は何のために本を書いているのか」という問い。

「地球科学をすべての人に。」

これを実現する手段として書いています。

 

では、地球科学をすべての人に広めることができたとして、それでどうなるのか。

社会にブレイクスルーが起こるのか。

あるいは、個人的な人生の目的である、イエス・キリストを多くの人に知ってもらうことにつながるのか。

 

事業の目的って、そんなに難しく考える必要はないという考え方もあると思います。

突き詰めれば経済活動であり、お金を稼ぐためにやっているのですから、社会的な大義名分や人生の意味など付与しなくても、十分に成り立つわけです。

 

でも私は、できることなら仲間を増やしたい。

人と一緒に仕事をし、一人ではできないところまで、もっともっと遠くまで進んで行きたい。

そのためには、人から共感されるビジョンと、社会的な大義名分がとても大切だと感じています。

 

今後は事業を進めながら、「地球科学をすべての人に。」のその後を、さらに突き詰めていきたいです。

すべての人に広めて、どうしたいのか。

 

最後にそのヒントになるかもしれない聖書の言葉を、一つ引用します。

イスラエルの王ダビデが、創造主である神様に語りかけた詩です。

あなたの天を、あなたの指の業を

わたしは仰ぎます。

月も、星も、あなたが配置なさったもの。

そのあなたが御心(みこころ)に留めてくださるとは

人間は何ものなのでしょう

あなたが顧みてくださるとは。

神に僅かに劣るものとして人を造り

なお、栄光と威光を冠としていただかせ

御手(みて)によって造られたものをすべて治めるように

その足もとに置かれました。

(旧約聖書 詩編8編4-8節 新共同訳)

 

この詩によれば、「御手(みて)によって造られたものをすべて治めるように」というのが、神が人を造った目的と言えます。

良き管理者として地球を治めることが、私たち人間の使命ということです。

 

地球科学をすべての人に広めることで、私たち人間が地球を良く治められるようになれば、多くの社会問題にブレイクスルーが起こることでしょう。

私の本がどこまで直接的な影響を与えられるかわかりませんが、小さな一歩であっても、確たる方向性をもってこれからも歩んでいきたいです。