サハラの目(リシャット構造)
©︎Sentinel Hub / flickr

サハラ砂漠で見つかった驚くべき円形構造

直径40.2キロメートルに及ぶこの奇妙な円形構造は、アフリカ北西部、モーリタニアのサハラ砂漠で見つかりました。

非常にきれいな円が何層にも重なった構造をしており、上空から見るとまるで目のように見えることから、「サハラの目」あるいは「リシャット構造」と呼ばれています。

 

一面砂に覆われた砂漠の中に、あまりにも規則的な構造。

Googleマップで見るとこんな感じになります。

どうでしょうか。

画像5枚目あたりから、じっとこっちを見つめられているような、目力(めぢから)を感じてしまいます(ちょっと怖い)。

「サハラの目」は砂漠の中の高台に位置していて、「白目」に当たる部分は周囲の砂漠よりも200メートルほど高くなっています。

 

そして、「黒目」に当たる部分(=リシャット構造)は、高台の中でやや凹地になっています。

うっすらと青白い色をしていますが、これは塩化ナトリウムなどの塩類が集積した色。

周りの濃い茶色の部分は、堆積岩でできた岩盤です。

 

さて、このたいへん奇妙な「サハラの目」。

実は、「サハラの目こそ、アトランティスの失われた都である」という説が世界中で根強く支持されているのです。

 

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伝説に残るアトランティスの都と見た目が酷似

アトランティス伝説の発端は、古代ギリシャの哲学者プラトンにまで遡ります。

彼の遺した2冊の書物、『ティマイオス』と『クリティアス』にはアトランティス島の姿が詳細に記載されており、これをもとに多くの人々がアトランティス島の探索に情熱を傾けてきたのです。

 

『ティマイオス』によると、アトランティスは大西洋にあった非常に大きな島で、そこに築かれた帝国は高度な文明(青銅器文明)と強大な軍事力を持っていて、地中海西部を含む広大な地域を支配していました。

しかし、紀元前9400年ごろに帝国は衰退し、その直後に大地震と洪水でアトランティス島は一昼夜のうちに海中に沈んでしまいました。

 

このような記載があったものですから、アトランティス島の探索はもっぱら大西洋を中心になされてきましたが、海中に沈んだ大陸の形跡などどこにも見つかりません。

そこで、アトランティス島の場所について様々な解釈がなされるようになりました。

代表的なものに、紀元前1525年ごろに火山噴火で崩壊した地中海のティラ島(サントリーニ島)や、大西洋のアゾレス諸島(ポルトガル領)、カナリア諸島(スペイン領)、アメリカ大陸などがあります。

 

そんな中、アトランティスがあった場所の候補として急浮上してきたのが、モーリタニアの「サハラの目」です。

その理由は、なんと言っても「サハラの目」の特徴的な円形の構造が、プラトンの記したアトランティスの都の構造に酷似していたから。

 

どういうことかと言いますと、プラトンの遺した書物『クリティアス』には、アトランティスの都の姿が次のように記されていました。

アクロポリスのあった中央の島は直径5スタディオン(約925m)で、その外側を幅1スタディオン(約185m)の環状海水路が取り囲み、その外側をそれぞれ幅2スタディオン(約370m)の内側の環状島と第2の環状海水路、それぞれ幅3スタディオン(約555m)の外側の環状島と第3の環状海水路が取り囲んでいた。(プラトン『クリティアス』)

 

これをもとに作成した都の構造図がこちら。

アトランティスの都の構造(プラトン『クリティアス』より)
プラトンの『クリティアス』を元に描いたアトランティスの都の構造(©︎グラニット / CC 表示-継承 4.0

 

「サハラの目」の黒目部分、つまりリシャット構造と並べてみると、見た目がとても似ていますね。

サハラの目(リシャット構造)とプラトンによるアトランティスの都の構造との比較
『クリティアス』に基づくアトランティスの都の構造図にリシャット構造の写真を重ねたもの(©︎グラニット / CC 表示-継承 4.0

 

このような見た目の類似性がとても強力なインパクトを与え、直観的に「アトランティスの失われた都」説が主張されるようになったのです。

 

もちろん、疑問は多々残ります。

海に沈んだはずのアトランティスが、なぜ水のないサハラ砂漠にあるのか。

リシャット構造の直径が40kmほどなのに対し、『クリティアス』に記されたアトランティスの都の直径は5kmほどで、大きさが合わないのはなぜか。

 

しかし、これらの疑問を念頭においてもなお、リシャット構造とアトランティスの都の類似は、人々の想像力をかき立てます。

プラトンの記述と一致するその他の特徴

このような見た目の類似性に加え、その他にもプラトンの記述と一致する部分があります。

例えば『クリティアス』のこちらの記述。

アトランティス島ではありとあらゆる必需品が産出し、今では名前を残すのみだが、当時は名前以上の存在であったものが、島のいたるところで採掘することができた。すなわちオレイカルコスで、その頃知られていた金属の中では、金を除けば最も価値のあるものであった。(プラトン『クリティアス』)

 

「オレイカルコス」とは金属の一種「オリハルコン」を表す古代ギリシャ語で、銅系の合金(あるいは鉱石)と考えられています。

「サハラの目」があるモーリタニアのおもな金属資源は、鉄、銅、金など。

オレイカルコスが銅系の合金ということは、金属資源の面から見ても矛盾しないわけです。

 

また、リシャット構造の周囲の地形について、プラトンはこのように記述しています。

島の南側の中央には一辺が3000スタディオン(約555km)、中央において海側からの幅が2000スタディオン(約370km)の広大な長方形の大平原が広がり、その外側を海面からそびえる高い山々が取り囲んでいた。(プラトン『クリティアス』)

 

実際に現地を調査した人の報告によると、リシャット構造の南側には長さ数百キロメートルに及ぶ広大な平原があり、ほとんど高低差のない平坦な土地が、見渡す限り広がっているということです。

そして、平原を囲むようにして、頂上が平坦な形をした美しい山々が見られます。

映像で見るとその姿はグランドキャニオンの断崖に似ており、水平方向の地層の重なりが、整然としたシマ模様を作っていました。

サハラ砂漠西部、モーリタニアのテーブルマウンテン(台地)
頂上が平坦なモーリタニアの山々(©︎Michał Huniewicz / flickr

 

さらに次のような記述もあります。

建築に使われていた石は、白色の石、次に黒色の石、3番目に赤色の石だった。建物はシンプルだったが、異なる石を一緒に組んでいて色彩に富んでいた。それは見た目に美しく、また自然と喜びが湧き起こるような色彩だった。(プラトン『クリティアス』)

リシャット構造のすぐ近くにある町、ウワダンの集落では、プラトンの記述にあるようなシンプルな家々が現在でも建てられています。

色の異なる石を一緒に積み上げたもので、その色彩は、確かに白、黒、赤とそれらの中間色からなる多様なものです。

モーリタニア北西部、ウワダン(Ouadane)の集落
ウワダンの集落(©︎Michał Huniewicz / flickr

「失われた都」説を補強するリシャット構造の不自然な形状

また、リシャット構造の不自然な形状も、「アトランティスの失われた都」説を補強する根拠として取り上げられます。

その一つが、リング状の地形の頂上部。

 

リシャット構造の内側を取り巻くリング状の地形は、かまぼこ型に盛り上がっているわけではありません。

実は頂上付近が非常に平坦になっていて、台形のような断面をしているのです。

つまり、急な斜面をまっすぐに上がると突然フラットな面に出て、フラットな面の先にはまた、下に降る急な斜面が現れる。

侵食作用によって自然にできたものなら、丸みを帯びた「かまぼこ型」になりそうですが、リシャット構造のリング状の地形はそうなっていないのです。

しかも、頂上の平坦な場所には岩盤らしきものは露出しておらず、大小様々な岩石のかたまりが砂に埋もれているような状況。

つまり、まるで造成地のように見える。

 

このような地形的特徴に基づき、頂上の平坦な面は古代都市が建設されていた地面であるとして、「失われた都」説を補強する状況証拠になっています。

 

一方、リング状の高台の間を埋める低い土地には、泥がたまって「マッドクラック」と呼ばれる亀裂が顕著に見られます。

干上がった水たまりや田んぼでよく見られる光景ですね。

プラトンの記述に従うなら、これもアトランティスの都を取り囲む「環状海水路」の名残りと見なすことができるでしょう。

干上がった泥にできるマッドクラックのイメージ(©︎Oleg Mityukhin / Pixabay

 

また、ウィキペディア英語版によると、干上がった泥の堆積物の年代は紀元前15000年から紀元前8000年と見積もられているそうです(炭素同位体を用いた放射年代測定による)。

これが何を意味するかと言いますと、泥の堆積物は最近の降雨によってできたものではなく、アフリカの気候が湿潤だった遥か昔の時代にできたものだということです。

そして、プラトンの『ティマイオス』によるとアトランティスが滅んだのは紀元前9400年ごろですので、アトランティスが栄えていた時代にはリシャット構造に豊かな水が満ちていたと言うことになります。

 

そのほか、アフリカ大陸の北西の端、スペインの対岸に当たる辺りにはアトラス山脈と呼ばれる長大な山脈があります。

「アトラス」とは、プラトンの『クリティアス』によるとアトランティス帝国の初代の王の名前。

アトラス山脈の位置(Googleマップ)

 

アフリカ大陸の北西端に同名の山脈があると言うことは、アトランティス島の場所がこの辺りであったことを暗示しているのかもしれません。

なお、『クリティアス』に出てくるアトラスが、ギリシャ神話に登場するアトラス神と同一の存在かどうかは不明とのことです。

それでも否定される「失われた都」説

アポロ9号が捉えたサハラの目(リシャット構造)
アポロ9号が捉えたサハラの目(©︎Kevin Gill / flickr

 

ここまで、「サハラの目」の黒目部分に当たるリシャット構造が、アトランティスの失われた都であることを示すいくつかの理由を述べてきました。

 

しかしながら、これらの状況証拠があるにもかかわらず、「失われた都」説はほとんどの考古学者・地質学者に否定されています。

その最大の理由は、文明の痕跡が乏しいこと。

 

プラトンの記述が本当だとすると、アトランティス帝国は高度な文明と強大な軍事力を持っていました。

だとすれば、たとえ洪水と大地震で滅んでしまったとしても、当時の文明を示す建造物などが遺跡として見つかるはずなのです。

しかし、そのようなものは今のところ見つかっていません。

 

リシャット構造をアトランティスの失われた都と結びつけるには、文明の痕跡が絶対に必要なのです。

 

ただ、全く可能性がないわけでもありません。

と言うのは、リシャット構造からは大量の石器が見つかっているからです。

 

その石器はハンドアクス(握り斧)などの大型の打製石器に代表されるアシュール文化のもので、「アシューリアン石器」と呼ばれています。

アシューリアン石器の例(Wikipedia / CC 表示-継承 4.0

 

アシューリアン石器の年代は最も新しいものでも20〜30万年前であり、原人であるホモ・エレクトス、旧人であるホモ・ハイデルベルゲンシスといった古人類の時代に作製されていたものです。

 

ですので、これらは紀元前9400年ごろまで続いたアトランティス文明とは全く時代が異なる、ものすごく古い石器。

アトランティスの高度な文明を示す証拠にはとてもなり得ません。

 

しかし、実際に現地を調査した報告によると、リッシャット構造の辺りで大量に見つかる石器には、ハンドアクス(握り斧)などの打製石器だけでなく、小さなつぼや石でできた宝飾品のようなものまで含まれているのです。

ある花崗岩でできた宝飾品は表面がとても滑らかに研磨されていて、古代エジプト文明の遺跡で見つかるものとよく似ていたそうです。

 

今のところ、アトランティスの高度な文明を示す証拠には程遠いですが、これらの遺物が単純に古人類のものとして片付けられるわけではなさそうです。

火山活動でできた純粋な地質構造としても説明可能

地形の高低差を強調した画像(サハラの目・リシャット構造)
地形の高低差を強調した画像(NASA, Public Domain / Wikipedia

 

リシャット構造の「失われた都」説が否定されるもう一つの理由は、この独特な地形さえも、純粋な地質構造として説明が可能だからです。

というわけで、地質構造説についても詳しく見てみましょう。

 

リシャット構造が発見された当初は、同心円状の地形から隕石クレーターではないかと考えられていました。

しかし、その後の調査で隕石衝突の証拠となる物質が発見されず、この説は却下。

 

現在最も有力な説としては、火山活動によるマグマの上昇で、円形に地層が押し上げられてできたと考えられています。

リシャット構造の内側の岩石を詳しく調べたところ、基本的には10億年前から5億年前までの堆積岩で構成されていることがわかりました。

堆積岩というのは、砂や小石が集積して、長い年月の間に固まった岩石のことです。

 

中心部分は「巨れき岩」と呼ばれる堆積岩で、ゴロゴロとした岩のかけらが集積した岩石。

また、同心円状にリシャット構造を取り囲む小山は、珪岩(けいがん)と呼ばれる二酸化ケイ素を多く含む堆積岩でできています。

 

これらの堆積岩は侵食作用に対して抵抗力が強く、地形の高まりとして残りました。

一方で、侵食作用に比較的弱かったそれ以外の堆積岩は、侵食されて相対的に低くなったというわけです。

 

つまり、このリシャット構造のシマシマ模様は、地層の重なりが同心円状に地表に現れているわけですね。

イメージとしては、こんな感じです。

リシャット構造の図解(How to make Richat structure)
リシャット構造のでき方(©︎グラニット / CC 表示-継承 4.0

 

棒状のマグマが真上に突き上げて地表が盛り上がれば、理論上はこのような同心円状の地層ができそうですね。

実際、リシャット構造の内側では、火山活動を示す流紋岩(りゅうもんがん)や班れい岩が見つかっています。

 

ただ、あまりにもきれいな円形であり、他に似たような例もないため、謎の多い地形であることに変わりはありません。

終わりに

いかがだったでしょうか。

「サハラの目」のリシャット構造は、アトランティスの失われた都の跡なのか、それともただの純粋な地質構造なのか。

一応は純粋な地質構造ということで、多くの専門家の意見は一致しています。

 

しかし、『クリティアス』には、プラトンの次のような気になる一節があります。

その都は、自然によって、そして何世代にも渡る王国の労働者によって、長い年月をかけて造られた。(プラトン『クリティアス』)

 

つまり、プラトンによれば、アトランティスの都は「自然の力」プラス「人間の力」で造られたのです。

だとすると、もともと純粋な地質構造として形成されたリシャット構造の上に、人工的にアトランティスの都が造られていたとも解釈できるわけですね。

なので、リシャット構造が純粋な地質構造で説明できるとしても、それがそのまま「失われた都」説を否定することにはなりません。

 

ここまで調べてみて、私自身は、リシャット構造に単純な地質構造以上のものを感じています。

そして、この奇妙な地形を見て直観的に「アトランティスの都かも」と考えられた人たちのことを、すごいと思います。

 

科学は、先人の偉大な知識を学ぶだけでは発展せず、ときに直観に従った発想の飛躍が必要です。

常識では考えられないことでも、直観に従って仮説を立て、その仮説を徹底的に検証する。

 

リシャット構造の「失われた都」説も、一見すると非科学的な説に思えるかもしれませんが、そのアプローチ方法は科学的・学術的であり、優れた方法です。

今後は、遺跡の発掘調査が鍵になるでしょう。

 

なお、リシャット構造が「失われた都」であるとすると、海中に沈んで滅んだはずのアトランティスが、なぜサハラ砂漠という地上に存在しているのか。

「失われた都」説にとっては、ここも乗り越えなければならない大きな謎の一つです。

今後の進展に期待しましょう。

 

それにしても、謎やミステリーっておもしろいですね。

科学者こそ、こういう謎やミステリーに本気で立ち向かっていくべきではないかと思います。

多くの人が関心を持っていても、専門家にしか調べられないことってありますから。

 

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参考文献

画像ギャラリー

サハラの目(リシャット構造)
人工衛星が捉えたサハラの目(NASA, Public Domain / Wikipedia
Axelspace社が撮影したサハラの眼(©Axelspace Corporation CC BY-SA 4.0

場所の情報

もっと学びたい人のためのオススメ本

『サハラ砂漠 塩の道をゆく』片平孝(2017,集英社新書)


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