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まるで『天空の城ラピュタ』の世界
イタリア中央部、ローマから北に120 kmほど離れた場所に、崖の上に取り残された小さな街があります。
街の名前は「チヴィタ・ディ・バーニョレッジョ(Civita di Bagnoregio)」。
冒頭の写真は地元の駐車場にある看板とのことですが、濃い霧の中に浮かび上がるその姿は、まるで『天空の城ラピュタ』のようです。
チヴィタ・ディ・バーニョレッジョの歴史は古く、始まりは2500年以上前に遡ると言われています。
古代ローマ帝国の時代よりもさらに前、イタリア半島中部に栄えていた先住民族エトルリア人によって造られました。
そんな歴史のある街ですが、風雨による侵食と斜面崩壊によって周囲の崖が削られ、崩壊の危機に直面しています。
観光地として注目されるようになったこともあり、補強工事も計画されていますが、すでに人口は十数名以下。
悲しいことに、「死にゆく街」と呼ばれています。
粘土と凝灰岩からなる崩れやすい丘陵地
チヴィタ・ディ・バーニョレッジョが建てられた場所は、粘土と凝灰岩からなる崩れやすい丘陵地でした。
下側が粘土の地層で、その上に凝灰岩の地層が乗っているという構造。
粘土の地層は、海の底に細かい泥が沈澱することで作られます。
凝灰岩は火山灰が固まってできる岩石。
どちらも崩れやすい地層で、雨や風による侵食を強く受けてしまいます。
侵食が進むにつれ、侵食から取り残されてテーブル状の凸部になる部分が現れますが、これを台地と言います。
チヴィタ・ディ・バーニョレッジョが建てられたのも、そのような台地の一つで、周囲は侵食によってできた崖になっていました。
ただ、最初から険しい崖だったわけではなく、現在のような姿になったのは周囲の崖がどんどんと削られていった結果です。
そして、鋭く切り立った崖になるほど、斜面崩壊が起こりやすくなります。
いわゆる崖崩れですね。
このようにしてチヴィタ・ディ・バーニョレッジョは、崖の上に孤立した「死にゆく街」になってしまいました。
度重なる地震と森林の減少も関係
斜面崩壊を引き起こす原因として、地震の影響も無視できません。
記録に残っているだけでもこの地方には何度も大きな地震があり(1349年、1695年、1764年)、その度に街が倒壊し、周囲の崖も崩落していきました。
また、著しい侵食と斜面崩壊には、森林の減少も関わっていると言われています。
豊かな森林に覆われている地域では、雨が降った際、樹木の根が土壌の流出を防いでくれるからです。
しかし、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョのように繰り返し斜面崩壊が起きる土地になってしまった後では、もはや森林の回復は望めません。
地質の面で崩れやすかったことはもちろん重大な要因ですが、地震という人の力では避けられない外的要因や、森林の減少という人間活動に関わることなど、複合的な要因でチヴィタ・ディ・バーニョレッジョは「死にゆく街」になってしまったと言えます。
このような状況を考えると、補強工事は「焼け石に水」であり、やはり崩壊の流れは食い止められそうにありません。
こちらの写真を見てもらうとわかる通り、チヴィタ・ディ・バーニョレッジョの街並みは大変美しく、なくなってしまうかと思うと残念でなりません。
侵食という自然の営みの無情さを感じてしまいます。
参考文献
Wikipedia『Civita di Bagnoregio』
Wikipediaイタリア版『Civita (Bagnoregio)』
ウィキペディア『チヴィタ・ディ・バーニョレージョ』
All About『天空の村チヴィタ・ディ・バーニョレッジョへ!』
もっと知りたい人のためのオススメ本
『謎多き建造物と隠された真実 世界遺産ミステリー(サクラムック)』(笠倉出版社,2022)